2017年7月31日月曜日

おかいこ様

これは2013年10月7日に書いたものです。
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 虫といえば、子供の頃、『科学』という子供向けの月刊雑誌に、繭玉というものが付録でついてきたことがあった。3、4㎝くらいの長さで、白いカプセル状のしろものである。
雑誌には、この繭玉を湯の中に入れ、お箸で生糸を取り出してみようと書いてあった。



 当時の私は、そもそも繭玉すら見たことがないのだから、もうわくわくして説明文を読み、さっそく鍋にお湯をわかした。そこに繭玉を入れ、はしでかき混ぜていると生糸の先端が箸にからまり、箸を回すと糸がするすると巻きついてくるというのだ。

 ところが、いつまで箸でころがしてもいっこうに糸の先端なんかあらわれない。だいたい「付録」などというもんはたいがいちゃんとしていなくて、ときとしてこんなことがあるんだよなあと、なかばやけくそになってガラガラかき混ぜていると、洗濯かなにかをしていた母が横からのぞき、

「どら、おらに貸してみらい」(どれ、私に貸してごらん)
といって箸をとりあげ、あっという間に糸口を見つけ糸を巻き始めたのだった。
「かあちゃん、すごい!!」。
すると母は、
「あだりみゃあだべー。おらいっそ片倉で糸取りばりやったんだもの。」(あったり前でしょ。あたしゃ、いつも片倉製糸工場で糸とりの仕事ばっかりやってたんだもの)とのたまう。

 母は娘時代、岩手県陸前高田市の片倉製糸工場の女工として働き、毎日湯気のたった大釜にいっぱいの繭玉から糸を取るのが仕事だったそうな。
なるほど、あちらはその道のプロだったわけだ。糸取りがうまいのは道理である。
そんな母にしてみれば、たった数個ばかりの繭が入ったお鍋から、プロの技で糸を水飴のように巻き付けていくなど朝飯前にちがいない。
糸を取り終えたあとには、糸の服を脱がされた丸裸のサナギが数匹残っているのみ。これぞ匠の技というべきか。

 ところがである。次の瞬間、恐ろしいことがおこった。
母は、糸がなくなったそのサナギをつまみ上げ、あろうことか、ぱくりと口に放り込み、むしゃむしゃ食べ始めたのだ

ぎょえーーーーーーっ、かあちゃんてば、発狂してしまったか?
口裂け女とかいう化け物がいるとしたら、まさにこれだ。口のはしに、カイコのしわしわした皮が押し込まれていくのが見える。母は化け物に変身してしまったのだ。もうただただ恐怖。
その化け物は、最後の一匹を飲み込んでこういった。

「なんとまだこのサナギは、ほすけでしまったふで、さっぱり油っこなぐなってしまってるが。サナギのうんみゃー味っこしにゃあ」。
(「なんとまあこのサナギときたら、ひからびてしまったようで、さっぱり油っけがなくなってしまっとるわ。サナギの美味しい味がしないよ」。)

つまり、付録のサナギが新鮮とれたてで届いていれば、母にも満足のいく味であったろうが、我が家に届く頃には干からびたミイラ味と化していたというわけである。
生き物を食べるということは、鮮度が命ということか。

 ときに、母が申すには、製糸工場の女工だった当時、カイコは貴重なタンパク質源で、毎日数粒づつ配給になったそうな。食べる物の乏しいその頃、配給や食事だけでは足りず、仕事中に隠れてこっそりカイコのつまみ食いをするのがとても楽しみであったという。
 てなわけで、カイコを見ると、あの恐怖の化け物かあさんの姿を思い出す。
もっとも、母は怒ると裸足で家の外まででも追いかけてくるから、山姥でもあるにちがいない。
三枚じゃ足りん、お札は何百枚も欲しいのう。くわばらくわばら。〈おしまい〉

【写真と図について】
写真の繭は、2013年の3月に近所の山でひろったものです。野生の繭というものでしょうか。

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2017年7月30日日曜日

リハビリの効用

2016年のこと。
入院している実家の母におつき合いして、病院のリハビリ室に行ったんである。ぼーっとながめているのも退屈だから一緒にまねしてみた。
500グラムの重りをつけた用具を両手に持ち、膝の上から肘をまげずに上げ下げするとか、たとえばそんなメニュー。母のゆっくりリズムで10回×3セット程度ほど。途中でもゆっくり休むから、運動時間は正味15分くらいか。各種のメニューが全部終わるまで40分ほど。これが午前と午後の2回。とまあわりに簡単なメニューのようです。



それでも母は、病室にもどってくると疲れたといい、腕が筋肉痛になるんだとか。入院生活も1ヶ月あまりになる。持病の腰痛に加え、手足の筋肉も弱ってきてるからこたえるのだと思う。

さてその翌朝。布団からおきあがったとき、私の腕と足のももの裏あたりが重く、みょうにだるい。
げっ、これはまさしく筋肉痛。弱ってるのは、私もかい。
日頃の運動不足と、お年頃ってやつですかね。
あれくらいのリハビリじゃあ、さしたる運動量でもなかろうと思ったのだが、これは現状の筋肉の実験結果である。しんしに受け止めねばなるまい。うむ、これからは、リハビリ室に親子でご厄介にならねばと思ったしだいである。

ところで、リハビリ中にバックミュージックを流すのだそうで、リクエストした曲をYouTubeで検索してかけてくれるという段取りになっていた。
理学療法士の方が母に「今日はどんな曲がいいですか?」とたずねる。
私の予想では、菅原洋一の『今日でお別れ』、東京ロマンチカ『小樽のひとよ』、水原弘『君こそわが命』あたりですなと思っていたのだが。

母いわく「ビリーバンバンの『白いブランコ』をお願いします。」
しかも「あれは倍賞千恵子も歌うけど、やっぱりビリーバンバンのがいいですね」だと。
へえ、こんなわりあい新しい曲を好んでいたとは。しかも、歌手にも詳しいではないか。
一人暮らしが長い母。ラジオをよく聞いているといっていたのだが、かような音楽のご趣味がおありだとは知りませなんだ。

私、EXILEとか苦手だし、といって今時分の音楽を聴かんもんなあ。これじゃ新しい世界がひらけませんわな。
さて、もしも私なら、リクエスト、なににするだろう?

あ、そういえば以前、私が鼻の手術をするときにも看護師さんにリクエストOKといわれたので、「上方落語の『初天神』」を所望したら、さすがに医師の手元が狂うからと却下されましたっけ。TPOは、わきまえなくっちゃだわ。(記:2016年7月16日)

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2017年7月26日水曜日

茶碗の底のおたのしみ


 ご飯茶碗を割ってしまったので買いに行きました。売り場でどれがいいかしらんと迷っていると、一緒に買い物につきあっていた相方のユクト君が「これなんかどう?」と選んでくれたのが、茶碗の胴体にナスやトマトの絵がついているというもの。


野菜栽培が好きな私にぴったり。ほんわかした絵柄でようございますなあと思っていると、ユクト君、「横だけじゃなくて、お茶碗の底にも絵があるでしょ。これがあったらご飯を食べ終わるのがたのしみになるんじゃないかなあ」ですってさ。
ソコまでは気がつきませんでした。見れば、茶碗の底にはほんにトウガラシが1個横たわっておられました。
 そういえば、売り場のこ子ども用茶碗の底にも、さまざまなキャラクターがついてるのが目につきます。お子たちのご飯がすすまなくて弱ったとき、「あと一口食べたら、アンパンマンがでてくるよ~」…てなオトナの配慮にもお役に立つというわけか。
するとユクト君、「あ、底に絵があるとたのしいのは、子どもだけでじゃなく、年配の人だってうれしいかも。」
はいはい、たしかに私、年々食べる量がへってきております。もしも、茶碗の底に見目麗しい殿方のブロマイドなんぞが貼られてましたならば、おめもじしたさでご飯をかきこむやもしれませんわな。
ちなみに、「ユクト君なら、どんな絵柄が茶碗の底にあってほしい?」とたずねますと、

「アンジェリーナ・ジョリー! できればカラーで」と、即答。さすが、オジサマ。

さらに重ねて曰く「できれば、女優さんは日替わりだったらもっとうれしいです。」(記:2015年2月5日)

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2017年7月23日日曜日

泣く子と地頭には勝てぬ

2013年9月13日に書いたもの。まだゲーム機がゲームボーイだったりファミコンだったりで、今のように普及してない頃の実話です。

【その1:ゲームセット】


 休日、混み合った新幹線に乗ったときのこと。自由席は満員で通路に立つしかない。
こういうこともあろうかと持ってきたゲーム機を取り出してピコピコとゲームにいそしむ。

すると,となりにいた小学生のこどもが、
「ボクもゲームやりたい-、やりたいー!」といってぐずり始めた。

こんなとき、どうずればいいんだろう。
坊やがかわいそうだし,この騒ぎにつきあわされる他のお客さんにもご迷惑だから、ゲーム機をしまうのが妥当なところだろうか。
それとも、やさしく「よかったら、どうぞこれで遊んでね」とゲーム機を貸してあげるのか。

 だが、おいらの塩からーいノーミソは、こう叫ぶのだ。
(そんな泣き落としなんかにくじけるもんか。やめないぞ。絶対やめないぞ。だって、こういう混雑と退屈になりそうな状況を考えてわざわざ家からゲーム機を運んできたんだもん。やめない。絶対に遊び続けてやる!)

こどもの声「あーん、ボクもやりたい!」
お母さん「だめよ。よその人のものなんだから」
こども「だって、やりたいんだもん」…延々と続くやりたい攻撃。

あ~あ、根負け。ゲーム機をしまってふてくされ、ガキをにらみつける、ガキみたいなおいら。

【その2:ゲーム屋さん】

ゲーム屋さんで前から欲しかったソフトを手にし、レジでお金を払おうとしたそのときだった。
すぐ脇でウインドーをながめていたらしいこどもが、おいらにこういったのだ。

「あのね、そんな高いゲーム買っちゃいけないんだよ!」
おいら、しばし絶句。

なんとか切り返そうと返答を考える。
(あのな、これはな、おいらの甲斐性で買うんだぜ。「かいしょう」といってもわからんか。稼いだ金で買うってことよ。それがオトナの醍醐味ってもんよ。えっ? 「だいごみ」も知らん? それがわかるようになるのがオトナじゃ。あんたも、はようオトナになりーや。)
…てなことを思いついたが、さすがに口には出さないでおく。

 そのあとおいらは、買ったばかりのゲームソフトをこれ見よがしにこどもの目の前でちらつかせ、勝利のVサインをして立ち去る…はずだった。

 だが実際は、新品ピカピカのゲームソフトを大急ぎでカバンにしまい込み、子どものやけるような熱視線から目をそらしつつ、そそくさと店をでたのだった。

 さてそれからは、ゲームソフトを買うときや車内でゲームをするときには、あたりに子どもがいないかどうか確かめるようになったのである。
オトナになったなあ、おいら。

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2017年7月22日土曜日

イヤホンの悩み

1.ラジオのイヤホン 

私は夜、床にはいって眠りにつく前のひととき、あるいは夜中に目覚めて眠れぬときなど、子守歌がわりにラジオを聞いて過ごす。  だが数年前まで、そのラジオを聞くのがたやすくはなかった。放送がうまくはいらんのである。なんでも、私の住んでいるこのあたりの電波事情の関係で、あまたあるラジオ局のうち良好に聞けるのは1局のみ。あと1局も雑音が入らないようにして聞くにはちょいとコツがいる。
まず、イヤホンを差し込んだラジオを手で持ち、空中でラジオを動かしながら聞こえる場所を探るのだ。

もしうまくはいったら、今度はその地点を逃さぬようピンと張ったイヤホンコードの張りを保ちつつラジオを持ち上げ続けるのである。さすればその間だけは心地よくラジオにありつけるという段取り。



さて、これが寝る前の覚醒しているときであればこそ、しっかりとした手つきでイヤホンコードも操れるのだが、夜中に目覚めてしまったときのラジオとなると、ちとやっかい。暗い中、もうろうとしたノーミソ状態でイヤホンのありかをまさぐり、聴取可能な地点を探して夢遊病者のごとくさまようことになる。 となると、ラジオは寝るための穏やかな気持ちを誘うどころか、ラジオを聞こうとすればするほど目が冴え渡り澄み渡るわけで、なんともはや。

2.タブレット時代 

その後、タブレットなるものを入手。これがまことに快適至極なお道具。無線LANのおかげでコード不要。しかも日本国内のみならず海外の放送局までも選べる優れもの。モンゴル語の歌で眠りにつけたりもするんである。

 とはいえ、ちょいと問題が。横向きに寝るとイヤホンの突起が枕に押され、耳の穴にあたってどうにも痛い。そこで、枕を少々くぼませ、そのくぼ地に耳を入れてみたら、あーら、だいぶと楽ちん。蕎麦殻枕ならではの解決策でありましょう。  


 
おっと、もう一つ悩ましきは、イヤホンコードですな。これが寝てる間に髪に絡まるやら、首をしめるやら。ときにはイヤホンの突起が耳からはずれ、ピップエレキバンのごとく首筋や背中や頭にぐりぐりぐり。指圧跡までくっきりと残す始末。

また、突起に取り替えカバーがついているタイプを使用していたときなど、どうも今日は聞こえが悪いと思ったら、はずれたカバーを耳に入れたまま外出してしまったこともありましたわい。 



 
 それにしても、ラジオが聞けるというのはありがたい。ラジオもエアコンも網戸もなかった頃。

夏の夜の暑さにたまらず布団から這い出し、窓から顔だけ出して寝ておりました。蚊取り線香にいぶされて咳き込み、朝日が顔面を直撃してましたもの。(記:2014年8月29日)






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2017年7月20日木曜日

初めて見るもの 食べるもの



実家の母へうちのベランダでとれたナスをお土産に持っていったときのこと。しま模様のナスのカプリスと、ぽってりした薄紫のナスのロッサビアンコを取り出してみせるやいなや、「なんときれいだこと。こんなの、見たことない!」と感嘆。だが、

母「これなんなの?」
私「ナスだよ。イタリアの在来種だって。」
母「いいや、ナスでないっ。ナスは茄子紺といって紺色なんだもの。こんなのはナスではない。」ときっぱり申して、ちっとも引かぬ。
あげく、「こんな色は毒々しい」とか、「つやつやしてるのが変だ」とかのたまふ。私が「焼きナスにして食べたら、とろっとして美味しいよ」と進言しても、「いいから、いいから」と押しもどし、頑として受け入れんのだ。

しかし、これほど反論しておきながら母はなぜか、しましまカプリス2個を手に持ち、曲がった腰でトコトコと仏壇に運んで行ってしまった。そういえば、なんでも仏壇にあげる家である。通知表、写生した絵、免許証などなど。いつぞや、私が発泡スチロールで作った水の分子模型でさえも、土産の青梅煎餅と一緒に並べてましたからなあ。無神論の象徴みたいな分子模型と仏壇との妙な取り合わせに、ぶふふと吹き出したことを思い出す。

それにしても、なにゆえカプリスだけ仏壇で、ロッサビアンコはテーブルの上においたままなのか。この選択っぷりが謎である。

 食事どきになり、私が台所で味噌汁を作っていると母が、「ここのナスも入れたらどう」といって、あの置き去りにされたロッサビアンコを指さしている。

なんたるもったいない仕打ち! 私は、内心怒り爆発。こともあろうに、そのへんに売っておらん貴重なイタリアンナスのロッサビアンコ様を、味噌汁のようなごった煮に投入するなどもってのほかじゃ。このナス様は、ナス様オンリーで、だいじに優しくなでるようにステーキにしていただくような高貴なお方であるぞ。と、申し述べたい気持ちをぐっとしまい込み、小さく切ってニンジンやらジャガイモやらと一緒くたにして汁椀に盛りつけてやった。ともかくも食べてもらわねば。食べれば、なあんだと思ってもらえるのだ、といいきかせて。

こうなるともはや、ロッサビアンコの汚名を晴らすといいますか、イタリアンナスの普及大使、あるいは新商品のプレゼン屋さんですな、あたしゃ。
母がお椀のナスに箸をつけるのを、横目でちらちら確かめるわたくし。
母「あら~、柔らかいんだねえ、このナス。とけてしまいそうだよ。これならもっと後から入れてもよかったねえ」ですと。はいはい、なんとか無事第一関門突破。

 そうなんだ。新しいものを受け入れるというのは容易ではないのだ。だって、一番最初にナマコやゴーヤを食べた人はすごいと思うもの。
まてよ。ちょいと予想がつきましたぞ。ロッサビアンコは母にとって、ナスとしてまだ認められる範囲だから食べてみてもいいと思ったにそういない。しかし、しましまのカプリスはどうにも納得がいかんから、とりあえず仏壇において食べるかどうかを棚上げにしているのにちがいない。第二関門は、カプリスなのだ。

 そして母は、仏壇の前を通るたびに立ち止まり、あやしげ色のカプリスを見上げ、「しかし、不思議なものがあるもんだ」とか、「もう少し眺めたいから、ここにおいとく」とかぶつぶつ言うのである。
おーい、かあさん、早いこと食べとくれ。腐っちまいますがな、もう。 (記:2015年9月16日)

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2017年7月15日土曜日

へそくりの思いっきりブルーな結末



4月のとある日。あろうことか、だいじにだいじにしまっておいた全財産がインクにまみれてしまっていた。
 どうやらしまっておいた場所がちょうどスタンプ台の近くで、そのスタンプ台の間にはさまっていたメモ紙にインクがしみこみ、さらに近くにあったお札にもインクがうつってしまったらしい。ほほう、これが毛細管現象ってやつかしらねえ。

いや、感心してる場合ではあるまい。えらいこっちゃ。どうするよ。ティッシュペーパーでふいてみたが、ペーパーには多少染みこむものの、ギラッとしたインクの青色はいっこうに消える気配はなし。
そうだ、こういう場合、たしか銀行に行けば新しいお札に替えてるくれるんじゃなかったっけ? よし、銀行へ急げ。
 銀行ではまず、通帳かカードをお持ちでないかと聞かれた。汚れたお札はその場で交換するのではなく、「いったん銀行が預かり、その後日銀に行って鑑定され、問題がなければお客様の通帳に入れる」というのである。


いやん、そんなあ、今日はそんなの持ってきてなかったし。仕方がない、家に戻って取ってくるしかあるまい。だが、今日はこのあと出かけるからまた明日にするか。
おっと、帰り際、窓口の行員さんに注意される。汚れたお札をサランラップで包んで持って行ったわけだが、3枚一緒に包まず、1枚ずつ包んでくるようにとのこと。数えるのに手間取るからだそうです。なるほど、お取り扱いの際にお手が汚れますものねえ。以後気をつけます。


 翌日、カードを持って銀行へ。だがしかし、カードじゃだめだった。「通帳でないとできません」だって。ええっ、そうなの。昨日伺ったときはカードとも言ってくれてたんだけど、あれは行員さんもあわててまちがえていたんでしょう。
かくして、再び家へ戻って通帳をにぎりしめてくる。
こうしてようやっと手にしたのが、「損傷通貨鑑定引換預り証」でございました。


届けたお金は、約2週間から1ヶ月の間に、わが口座に振り込まれるそうな。えーーーっ、それまでどうやって食いつなごう、とぞ思ふ。
なお、「この預証は全額を保証するものではありません」とのお言葉もいただきました。偽札だとか、損傷しすぎて鑑定できないとなったら戻ってこないのだそうです。うえーん、なけなしのお小遣いなのにぃ。
この日、わたくしは固く誓ったのであります。「へそくりはビニールかジップロックに入れておくべし」と。
さて、インク漬けになったお金はその後、通帳に戻ってくるかしらん?
(その25/記:2015年6月5日)

【後日談】
約3ヶ月後、無事3万円が口座に振り込まれておりました。は~、それまでの長かったこと。生きた心地がしませんでしたわ。

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壁に目あり 電柱に口あり

年の瀬もおしつまってまいりました。ちまたでは忘年会などで盛り上がっている今日この頃でありましょう。
さてさて,この時期。寒さも手伝い,うかれて飲んだお酒はいずれにか放出したくなるのが人間のカラダのつねというもの。 ふと見れば,いい具合に塀がある,電柱がある。で,まあ「この辺でちょっと」てな案配で用足しをしてお帰りになる。

さて翌朝。ここを通る人々が目にするわけでございます。夕べは雨も降ってないのに,不思議な水たまり。「なんだろなあ?」と近ず近づけば,異様な匂いにむせかえり,なかにはそれと知らずに,うっかり足を踏み入れてしまって愕然とする,なーんてことがままあったりするわけでございます。

 

そこで,このアヤシイ水たまり問題をばなんとか解決させようとみかねた方が,「貴方の後ろ姿は見られています」てなぐあいの味な表現の張り紙をしてくださる。しかし,なかなか効果がなかったりすることもあるようでございます。
さてさて,こんなとき皆様なら,どんな作戦をお考えになるでありましょうか?
及ばずながら,私もちーとばかり考えてみたんでございます。


 用意するもの

その1.玄関先などにとりつけてある防犯用のライト。
       人影に感知して点灯するというもの。
その2.電話案内音声をまねて録音したテープ。
      …これらをうまいこと合体して装置を作ります。

名付けて「塀にメアリー電柱にクチアリー」なんちゃって。
(これじゃ長すぎますな。ネーミング募集中です。)
【注】だたし,どうやって作ったらいいかわかりません。どなたか作成・送付して下さる方,熱烈歓迎。


使用方法

もよおしたい人物が壁や電柱などの所定の場所に来ると,人影を察知して防犯ライトが点灯し,同時に下記のような音声が流れます。

「ピンポンパンポーン♪
お客様のおかけになったお小水は,現在お取り扱い致しておりません。もう一度 しまいなおしてお帰りください。」


 

…とまあこんな作戦です。さて,効果のほどはいかがなもんでしょう?

この装置の欠点

「もよおしたい人物」かどうかにかかわらず,センサーの前に人影が現れると点灯・放送してしまうこと。そういうところは,玄関用防犯ライトと同じく,通りすがりの人までもびっくりさせてしまうのが残念なり。実現には,なおいっそうの研究を要すると思われます。

おしまいに

このたびは,まことにビロウな話題で恐縮です。じつは,近所に,そんな困った場所を丁寧にお掃除してくださっている方をおみかけしたもんで,なにかいいアイデアはと考えてみたしだいです。
(その24/記:2007年12月18日) 

 

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おがみ様

ちょいと,むかし。
海辺のちいさな町に,チビトモという子どもがいたそうな。
そのチビトモのひいばあちゃん,(といってもチビトモが生まれたときにはもう亡くなっている)は,「おがみ様」だったそうだ。

おがみ様とは,祈祷師の一種のようなものらしい。亡くなった人をしのぶときとか,海で漁をするときに安全を祈ってもらうとか。そういう人のことを地元では「おがみ様」と呼んでいた。

なんでも,チビトモのひいばあちゃんは,目が見えず,そのまた母さんのひいひいばあちゃんという人もやはり目が見えなくて,おがみ様をしていたそうである。つまり,おがみ様とは,目が不自由な人の職業でもあったわけである。


 さて,そのひいばあちゃんのおがみ様業だが,その当時は,たいそう繁盛していたらしい。

ばあちゃんの話によれば,「おらのおがさん(ひいばあちゃん)は,よく当たる人でねえ。おがみさ来てくれる人がいっぱいいたもんだよ。」という。

そんなわけだから,おがんでもらいに来た人が持ってきた食べ物やなにかで,戦時中でも広い家に住み,当時では珍しい,大正琴や蓄音機もあるような不自由のない暮らしをしていたそうである。


 ところで,あるとき,ばあちゃんはチビトモに,おがみ様だったひいばあちゃんがどんなに立派な人だったかを話してくれたことがあった。
なんでも,おがみ様ばあちゃんは,たいそう頭がよくて,いろんなことをとてもよく知っている人だったそうな。
目が見えないから出歩くことは不自由だったけれども,ばあちゃんの話をよく聞いて,そしてよく覚えていたという。

つまり,目の見えるばあちゃんがいろんな出来事や話を見聞きし,おがみ様ばあちゃんに話す。
すると,おがみ様ばあちゃんはとても覚えがいいからその話をよく記憶していて,祈祷の仕事におおいに役立つ。こうして,おがみ様は大繁盛というわけだ。

 また,当時地元では,海で漁をする人々がたくさんいて,小さい船をこいで出かけるような危険なことが多かったから,無事を祈ってもらうということがとても大事な時代だったらしい。そういうこともあって,おがみ様は,暮らしにかかせない役割を担っていたらしいのだ。


 さて,そんな腕利きのおがみ様ばあちゃんであったが,ひとつ,予想できなかったものがあった。
それは,チリ地震津波。この突然の大きな津波に襲われ,おがみ様ばあちゃんとばあちゃんは,命からがらなんとか丘の上に逃げおおせたものの,家も家財道具もほとんどなくしてしまったということである。

 ところで,チビトモの家には,おがみ様ばあちゃんの祈祷グッズが残っていた。水晶玉だの,ぜい竹だの,ノドに小骨が刺さったときに,これでノドをなでれば取れるという象牙の箸だの。
他にも何につかうのか,まが玉だの,さまざまな色の数珠だの。易学の書物だの。
津波にあっても,三種の神器だけはしっかり守ってきたのである。


そこで,せっかくこれだけのご祈祷グッズがあるのだから,ひまごのチビトモがおがみ様業をついでもよさそうなものであるが,どうもそのようにはならなかった。

それどころか,まるで反対の道へと向かっていた。

たとえば,だれかにお守りのお札をもらうと,中を開けたら御利益がなくなるというのにもかかわらず,どうしてものぞいてみたくなってしまう。「中には何か金ぴかの観音様のような神々しいものが入っているんだろうか?」と気になってしかたがないのだ。

こうなると,ためしてみないではいられない。
紙封筒入りのものは破り,もっと頑丈な透明プラスチックの,周りがパウチッコみたいにあっ着されているものでも,ハサミを入れて解剖せずにはおれなかった。

そうして,お守りというものは,
「中身はだだの小さいボール紙が一枚。それも裏が灰色の安っぽいぺらぺらのやつみたいなのが入っているだけなんだ」
ということを,つきとめてしまうような子どもに育ってしまった。


かくもまあ,おがみ様とは正反対のところに来てしまったのは,いったいなぜであろう?

それは,おがみ様業が,目の見えるばあちゃんの見聞で成り立っているという舞台裏を知ってしまったからなのか。
それとも,どんなに優れたおがみ様でも「チリ地震津波を予言できなかったではないか」と悟ったからか。

 いやいや,どうもそればかりではないようである。

チビトモの“視力が弱い”ところは,なるほどおがみ様ばあちゃんに似てはいるものの,肝心の「<物覚えがずば抜けて優れている>という,おがみ様業になくてはならない才能」が,皆無だった。
つまり,目のみならず,記憶力ノーミソも弱かったからにちがいないのである。
おがみ様になるのは,容易なことではない。

ところで,あの祈祷グッズだが,今も納戸にしまってあるそうな。
そのままにしておくのはもったいないが,どなたか,
「おがみ様」してみます?


「おがみ様ごっこ」をして遊ぶチビトモ
 (その22/記:2007年7月11日)

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2017年7月14日金曜日

ネクタイの花

左の写真は,食べこぼしのしみがついたり,すり切れたりして,だいぶくたびれたネクタイで作った花。光沢の美しさといい,縞の柄ぐあいといい,さすが元ネクタイ。布地が絹だけのことはありまする。
「くさっても鯛」とかもうしまするが,この場合「へたっても絹」というべきか。手芸などの飾り物を作るのが苦手な私ですが,えり元を飾ったネクタイ時代の後は,こうして花瓶の上でもう一花咲かせてみるのも,なかなかによいものだと思ったしだい。
それにしても,ネクタイを解体するのはおもしろうござりました。中身は,下の写真のようなごつい布が芯になっておりまする。
こうしてみると,この芯地とて,まだ白くてきれい。痛んでもおらぬ。となれば,いずれなにかしらのものに使えそうでありまする。新たな布地を貼り合わせて新ネクタイを作ってみるのもよし。ケガをしたときの包帯がわりにだってなるかもしれないではないか。だいじにしまっておこう。
かくして,またタンスのなんとやらを増殖させると危惧する声が…,聞こえてきそうでござりまする。 


 










ところで,花の出来映えは麗しいたたずまいであるのに,その下の花瓶がなんとも…。
もうすでにお気づきの方もおられるかもしれませぬ。じつは,花瓶は適当なものが見あたらぬゆえ,今は使用していない,キッコーマン印がついてる醤油差しの赤いフタを取って代用。
この醤油差し,ちょうど手で持つところがくびれており,いいあんばいにチビネクタイのおさまりをよくしてくれました。
というわけで,こちらも洒落た花瓶になったように思うのですが,いかがなものでござりましょう?

こうして,机の上のネクタイの花をながめつつ,
「ぼちぼちアタクシもウンジュッ歳のお年頃。このままボッしてしまってよいものか?
いいえ,まだまだこれからですとも。 そうそう,アタクシだって,もうひと花咲かせましょうぞ」。
…なあんて,ひとりほくそ笑み,気をよくしているお調子もんの私である。(その21/
記:2007年5月31日) にほんブログ村 イラストブログ イラストエッセイへ
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はじめての おつかい

テレビ番組に,「はじめての おつかい」というのがありました。
小さな子どもが,お家の人にたのまれてはじめておつかいに行くときの様子を見せる,日本テレビのドキュメンタリー風番組。
お子たちは,はじめてのことだから,失敗するし,おもわぬハプニングで困惑もしますが,なんとかやりおおせて無事帰宅の感動シーン。見ているこちらは,なにやら微笑ましくもハラハラし,ときにじわーんと涙を浮かべて応援するわけであります。

 ところで,その「おつかい」ですが,たとえば,ずっと会社にお勤めで,定年退職なさったおじさまが,奥様に頼まれて,はじめて「おつかい」なるものをおおせつかたったとしたら,どんなことになるんでしょう。

 じつは,この前,そのようなときの夫君の様子を,近所の井戸端会議で奥さんたちが話しておいででした。


A夫人「ウチのダンナなんか,卵買ってきてって頼んだら,10個のうち9個も割れてたんだよ。」

「うえーーーっ,なんで?」

A夫人「それがさあ,自転車のハンドルに,卵ぶら下げたまま運転してきたっていうんだもん。」

「そりゃ,つぶれるわ~」


 
 

 








B夫人「ウチのなんかね,サツマイモを一個買ってきてって頼んだのよ。そしたらさあ,帰ってきてこういうのよ。」

「えっ,なになに?」

B夫人「サツマイモたった一個だけかごに入れてレジに並ぶの,俺すっごく恥ずかしかったよ,だって。」

「へえ~っ,そんなことが恥ずかしいんだあ」
 


  
C夫人「私の知り合いの人のダンナさんの話なんだけどさあ。奥さんが銀行のATMでお金おろしてきてって頼んだら,ATMの前で一生懸命“電卓”の方を押してたんだってよ。」

「わっ! それじゃ,おろせませんて…。」

C夫人「でね。そのダンナさん,結局銀行の係の人に聞いてようやくお金おろしてきたんだって。まあねえ,そのダンナさんていうのは,普段体力勝負の仕事やってる人だから,デスクワークとかしたことなかったんだって。そりゃあとまどうよね~。」
 

 


…とまあ,そんな会話でありました。
いえいえ,おじさま方のみならず,私にも身に覚えのあるような「はじめてのおつかい 」の珍道中,事件続出のお話であります。
ところで,この井戸端会議ですが,ここまでで終わったわけではなかったのです。
そのつづきはというと…。

「ねえ,ねえ。こういうのはどう?『はじめてのおつかい おじさん編』ていうのをテレビでやるのよ~。」
「それ,いいじゃん。」
「おもしろいわ~。」
「これからは,お年寄りが多くなる時代だし,いいかも。」
「それでさあ,ダンナのあとをこっそりつけて,物陰からじーっとみてたりしてね。」
「ぎゃははは~。」
「気持ちわる~。」
「あれって,そういえば,ビデオを段ボールとかにしまって隠し撮りするんだよね。おじさんたち,どんなことしでかすのかなあ~。」
「きゃー,それってあやしいかも~。」
「わはは~!!」

…いやはや,さすが井戸端会議。みごとな盛り上がりをみせるのでありました。(その21/
記:2007年5月31日

 
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散歩人は見た

散歩人は「飲酒運転ナンバーワン」の代行を見た!の図
ぶらぶら,ご近所をお散歩していると,いろんなものを目にするんでございます。
「いつもこのあたりですれちがう灯油屋さん。ほら,あのイケメンのお兄さんの車に合わなかったけど,きょうはどうしたんだろう。もしかしたらこの近くに愛人さん宅があって,そこへ寄り道してるんじゃないの」とか。

「ここの建て売り住宅。完成したのにいつまでたっても販売の旗もなければ,住人の姿もないのはどうしてかしら? 犯罪組織かなんかのワケありの持ち主が,こっそり住むために建てたのかもしれないわね」などと詮索しながら歩くのはじつに楽しいもんでございます。

 それでね,このあいだも,アタクシ見たんですの。
代行のタクシー屋さんちの前を通ったとき,駐車している代行タクシーの車体の横に,こんな言葉が書いてあるんです。
「飲酒運転 NO1」。
どう思います?,これ。アタクシもう,びっくり。「ナンバーワン」とは何事ぞ。なんてふとどきなタクシーなんざんしょと思って,近づいてみたら,
「飲酒運転 NO!」。
N(エヌ)とO(オー)のあとが,「1」じゃなくて「!」だった!
エヌオーは,「ナンバー」じゃなくて,「ノー」だったってわけ。
まあ,アタクシったら,この頃目が弱ってきたみたいで…。
ほんとにどうもごめんあそばせ。
---------以上,「はやとちりナンバーワン!」の散歩人でした。(その19/記:2007年1月2日)
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机下の足下暖房法

しんしんしん…
冬,机の下が寒い。
すわってじっとしているところだけに,
なんとかして暖める方法はないものかと,
毎年さまざまな暖房方法をためしてきた。その模様をお伝えしようと思う。








1.長靴型スリッパ

★革製のスリッパ
底も側面も毛でびっしり
【長所】
・ はいたまま,足が自由になる。立ち上がってトイレにいくことだってできる。
  ただし,この長靴スリッパをはいたまま,トイレのスリッパをはくことになるの  で,トイレのスリッパが 大きくないとうまくはけない。)
・ 足の裏だけでなく,くるぶしあたりまでおおってくれる。
【短所】
・ 期待しているほどの暖かさがない。
・ かかとまではまあ暖かいが,ひざあたりはカバーできないのが残念。
・ 材質がボア製のものと革製のものをためした。革の方がずっとあたたかいものの,ちょっと玄関先まで出ようというときなど,脱ぎはきがめんどう。


…ああ,靴底と側面もあったかい室内靴,だれか発明してくれないもんかのう。
★ボア製のスリッパ
わりと安かった












2.レッグウオーマー
そこで,こんどはレッグウォーマーを自作。これでどうだ!
生地は,厚手の赤いキルティング地。レッグウオーマーをベルトでつり下げたみたいな構造。さながら,もんぺの足だけみたいなシロモノ。
見栄えからすると,たしかにすさまじいものがある。「ださいアイスホッケー用防御服」の感あり。
しかし,暖かさは上等。長靴型スリッパの上からこれをはけば,最強の暖を得られるのだ。さらに,腰のベルト部分には,はめはずしできるように,金属のバックルを装着。
なお,腰部が開いているのにはわけがある。
ズボンの上からはくのでもたつかないようにするためと,「股間が蒸れない」という,素晴らしい“知恵と技”の結晶なのだ。
 だが,悲しいかな,やはり脱ぎ履きに手間どるのだった。布団に入って,ちょっとごろんと横になりたいときなんかこの重装備では不便きわまる。
そういえば,脱ぐのももどかしくそのまま布団をかぶって寝てしまったこともよくあった。
 





足は、動いちゃいかんのです。
3.足温器
もはや自分の体温のみで暖をとろうというのは限界なのにちがいないと考え,電力に頼ることにする。
それには,ズバリ足温器でしょう!
さっそく購入。足の自由は制限されるものの,これはさすがにあったかい。心地よすぎて眠くなるほどである。
ただし,これも膝や腰回りはカバーできないので,毛布を腰に巻いて対処することにした。この毛布は,わざわざ新品を買い求めるまでもあるまいと,普通の綿毛布を巻いたら,えらく重い。立ち上がってうろつくと毛布はずり落ちてくる。何度も巻き直しをしなければならないはめになるのだった。


4.ミニホットカーペット
座布団がずれるのが玉にきず
そして今年,ホットカーペットを試みる。
小型のホットカーペットを足元に敷き,その上に座布団をのせるというもの。この「座布団」が実に効果的なのである。
カーペットと座布団の間に足をつっこんでいるので,足の甲のあたりも暖まり,足の動きも自由がきく。
ただし,膝方面のぬくもりはないので,毛布でカバー。その毛布も新調した。ユニクロの小型毛布。ヒートテックとかいう生地だそうで,メーカーによれば,なんでも「 体が発する水蒸気を吸収し、素材そのものが暖かくなる」のだそうだ。材質はアクリル60%・レーヨン40%
これは,綿毛布より暖かく,なめらかな肌ざわりとともに,軽い。お値段も軽め(3000円弱)。これなら,腰に巻いてもなんとか身動きがとれるというものである。 




5.あらたなる試み

ところで,まだ反射板みたいな暖房器具をためしていないが,どんなもんだろう?
あれを机の下の膝の前に置いてみたらどうか? あれはそもそもあったかいだろうか? じゃまにはならんのか?
…こうして来年も,さらなる机下足元暖房を求め,あくなき研究が続くであろう。

【追伸:研究のあとしまつ】
長靴型スリッパのその後。ボア製は,はきつぶして壊れた。革製品は室外用にはいてみたが,しょせんスリッパ,靴の中が広すぎてぶかぶか。室外を歩くには不向きらしい。しかもバックスキンゆえに雨に弱いときてる。でもじつはこれ,もととも室外用の靴として販売されていたものなんですけどねえ…。
はて,これじゃあいったいどこではけばいいのだあ?
といって,捨て置くにはもったいない。そこで,あったかさは間違いないのだから,散歩用としてはくことにする。ただし,厚い靴下で靴内の空間を調節し,「晴天」限定使用。

なお,自作レッグウォーマーは分解して使い道のない布きれとなっている…はずであるが,なぜか見あたらない。ドキッ!,すてたかも? ついで,足温器は只今押入の粗大ゴミ。

…というわけで,「研究にムダはつきもの」といいたいが,報われたらの話だろうなあ,たぶん。

 
 これは,綿毛布を巻いているときの失敗例。このときは革靴スリッパもはいていたから,玄関下駄がはきにくいのなんの。宅配屋さん,しどけない姿ですみませぬ…。(その18/記:2006年12月6日)

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