2017年7月31日月曜日

おかいこ様

これは2013年10月7日に書いたものです。
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 虫といえば、子供の頃、『科学』という子供向けの月刊雑誌に、繭玉というものが付録でついてきたことがあった。3、4㎝くらいの長さで、白いカプセル状のしろものである。
雑誌には、この繭玉を湯の中に入れ、お箸で生糸を取り出してみようと書いてあった。



 当時の私は、そもそも繭玉すら見たことがないのだから、もうわくわくして説明文を読み、さっそく鍋にお湯をわかした。そこに繭玉を入れ、はしでかき混ぜていると生糸の先端が箸にからまり、箸を回すと糸がするすると巻きついてくるというのだ。

 ところが、いつまで箸でころがしてもいっこうに糸の先端なんかあらわれない。だいたい「付録」などというもんはたいがいちゃんとしていなくて、ときとしてこんなことがあるんだよなあと、なかばやけくそになってガラガラかき混ぜていると、洗濯かなにかをしていた母が横からのぞき、

「どら、おらに貸してみらい」(どれ、私に貸してごらん)
といって箸をとりあげ、あっという間に糸口を見つけ糸を巻き始めたのだった。
「かあちゃん、すごい!!」。
すると母は、
「あだりみゃあだべー。おらいっそ片倉で糸取りばりやったんだもの。」(あったり前でしょ。あたしゃ、いつも片倉製糸工場で糸とりの仕事ばっかりやってたんだもの)とのたまう。

 母は娘時代、岩手県陸前高田市の片倉製糸工場の女工として働き、毎日湯気のたった大釜にいっぱいの繭玉から糸を取るのが仕事だったそうな。
なるほど、あちらはその道のプロだったわけだ。糸取りがうまいのは道理である。
そんな母にしてみれば、たった数個ばかりの繭が入ったお鍋から、プロの技で糸を水飴のように巻き付けていくなど朝飯前にちがいない。
糸を取り終えたあとには、糸の服を脱がされた丸裸のサナギが数匹残っているのみ。これぞ匠の技というべきか。

 ところがである。次の瞬間、恐ろしいことがおこった。
母は、糸がなくなったそのサナギをつまみ上げ、あろうことか、ぱくりと口に放り込み、むしゃむしゃ食べ始めたのだ

ぎょえーーーーーーっ、かあちゃんてば、発狂してしまったか?
口裂け女とかいう化け物がいるとしたら、まさにこれだ。口のはしに、カイコのしわしわした皮が押し込まれていくのが見える。母は化け物に変身してしまったのだ。もうただただ恐怖。
その化け物は、最後の一匹を飲み込んでこういった。

「なんとまだこのサナギは、ほすけでしまったふで、さっぱり油っこなぐなってしまってるが。サナギのうんみゃー味っこしにゃあ」。
(「なんとまあこのサナギときたら、ひからびてしまったようで、さっぱり油っけがなくなってしまっとるわ。サナギの美味しい味がしないよ」。)

つまり、付録のサナギが新鮮とれたてで届いていれば、母にも満足のいく味であったろうが、我が家に届く頃には干からびたミイラ味と化していたというわけである。
生き物を食べるということは、鮮度が命ということか。

 ときに、母が申すには、製糸工場の女工だった当時、カイコは貴重なタンパク質源で、毎日数粒づつ配給になったそうな。食べる物の乏しいその頃、配給や食事だけでは足りず、仕事中に隠れてこっそりカイコのつまみ食いをするのがとても楽しみであったという。
 てなわけで、カイコを見ると、あの恐怖の化け物かあさんの姿を思い出す。
もっとも、母は怒ると裸足で家の外まででも追いかけてくるから、山姥でもあるにちがいない。
三枚じゃ足りん、お札は何百枚も欲しいのう。くわばらくわばら。〈おしまい〉

【写真と図について】
写真の繭は、2013年の3月に近所の山でひろったものです。野生の繭というものでしょうか。

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