毎週日曜の朝日新聞に「おやじのせなか」というコラムが載っている。
著名人に,ご自身のおやじさんのことを話してもらうという記事。
これを読んでいたら,なんだか自分も父のことを書いてみたくなった。自分は父のどんなせなかを見ていたのか。父と似ているのか,似てないのか。お題をもらって,作文をしようと思ったのだ。
それにしても,こんな作文が,読んで下さる方のどんなお役に立つのか立たないのか。まあ,とにかく書き出すことにいたします。
修理屋
父は岩手県大船渡市にある小さな建設会社の社員。いつも灰色の作業服を着て首にタオルをまき,編み上げ靴をはいて出勤していた。飯場にいる土木屋のおじさんといういでたちで,そのままバスと汽車に乗って行く。
父は会社のすぐとなりに小さな修理小屋をこしらえ,そこで図面を書いたり,機械の部品を修理する仕事もしていた。
この小屋には,父が「スカラップ」と呼ぶ,建築現場にころがっていた古びた道具とういうかガラクタが,そこここに置いてあった。そもそも,その小屋自体が寄せ集めのものだったと思う。
昼時には,ここに現場の人々が集まってくる。拾い物のストーブをかこんで弁当を広げ,食後は,修理した小さいテレビで15分間の連続テレビ小説を楽しんでから,午後の仕事にかかるらしかった。
そんなわけで,父のスカラップは建築現場の憩いのひとときに一役かっていたのかもしれない。
風呂
ところで,そんな父のガラクタ修理屋ぶりは,家の中のさまざまなものにも及んだ。
当時,家の風呂は,父が持ってきたドラム缶だった。それも外の庭にどんと置いてあるきりで,屋根も囲いもない。
父は「みんなハダカは一緒だがらいいでにゃあが」というが,
「それはいくらなんでも」という家族の懇願で,周りをテントで囲ってくれるようになり,空を見ながら入った。
だから雨の日は閉店になる。
その後しばらくしてようやく屋根も追加されたが,ドラム缶であることに変わりはなかった。

「見ろ。今度は風呂の内側を青色にしたんだぞ。お風呂なのに,海さはいってるみだいでいいべ~」と自慢した。
見るとまさしく海色ではあったが,ペンキの匂いが鼻にくる。
父はさらに,「これを入れにゃあど,風呂さ入った気がしにゃあもんだ」といって,このお風呂にバスクリンをとかして入るのを好んだ。
おかげで,せっかくの海色は消え,湯は沼のような緑に変色した。
ところで,このドラム缶風呂は,木でできたスノコに乗っかって入るのだが,子どもの私は軽量だから,うっかりするとスノコがはずれ,頭の上でフタになってしまう。足が缶の底にじかにさわり,熱い,熱い。
さらに,ペンキのぺにゃっとした肌触りと鼻にくる匂い,芳香剤替わりのバスクリンもまざって,壮絶な事態となる。
こうして時々ドラム缶風呂は,ゴエモン風呂ならぬゴウモン風呂になるのだった。(記:2005年3月16日)

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